金と金鉱脈を求めて

金山を支えた疎水坑道



佐渡金山は、
17世紀初頭の開山以来、
良質の金を求めて急速に採掘が進められた。
開山後、わずか百年足らずで採掘場は海水面下に達した。
加えて坑口の多くは、
沢筋に位置していたため、
坑内では、湧水や流水が多く、
その排水の巧拙が生産に大きく影響した。
江戸中期になり、
この様な採掘条件の悪化から産金量が減りはじめると、
幕府は多くの資金を投入し、
海に直接排水できる効率的なレベルに排水坑道を掘削するなどして、
金山の再活性化を計った。
この絵図は、こうした中、
元禄8年(1695)に振矩師(フリガネシ)
・静野与右衛門によって描かれたものであるが、
当時すでに精度の高い測量が行われ、
鉱脈の位置や方向もほぼ正確に把握されていたことが窺える(ウカガエル)。

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