金と金鉱脈を求めて
◆江戸幕府を支えた金山の金鉱脈◆
今から2000万年前、
佐渡島周辺では激しい火山活動が生じ、
安山岩溶岩や凝灰岩などの火山噴出物が大量に堆積した。
この火山活動に伴い、
地下深部に熱水が生じ、
岩石中の割れ目を伝わって地表に達して温泉となった。
熱水中には、
金や銀などの金属元素や他のさまざまな元素が、
溶けた状態で含まれている。
この熱水が割れ目を通過している間に、
熱水の温度が低下し、
また圧力が低下すると石英の結晶(水晶)が割れ目の中に生成し始める。
この時に、金や銀が自然金や銀鉱物として石英の中に生じたものが、
含金銀石英脈(ガンキンギンセキエイミャク)すなわち金鉱脈である。
その後の長い年月の間の侵食作用により、
金鉱脈が地表に姿を見せたところが鉱脈露頭であり、
金を探す時に重要なものとなる。
佐渡島には大小あわせて十数の金銀鉱脈山があるが、
佐渡金山は、その中で最も規模の大きいものであり、
徳川幕府は佐渡を天領として大規模な開発を始めた。
佐渡金山の鉱脈は、
主要なもので9鉱脈あり、
南北約600m、
東西約300m、
深さ約800mの範囲に存在する。
最も大きい鉱脈は青盤(アオバン)脈と呼ばれ、
その大きさは、
長さ2100m、
幅6mで、
深さ500mまで板状に連続するものである。
鉱脈の方向は東西であり、
傾斜は北へ60度ないし南へ60度と変化する。
多くの鉱脈は海水面下まで連続している。
佐渡金山から生産された金は江戸幕府の財政を支え、
生産された金は41t、
銀は1781tに達した。
これらの金や銀は火薬を使わず、
すべて手掘りによるものであった。
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