金と金鉱脈を求めて

金鉱脈を求めて



山金採掘の初期の段階では、
山師達は山の尾根や沢筋に露頭(鉱脈が露出した部分)を見つけ、
そこから採掘を開始した。
「道遊の割戸」は山の尾根から採掘を開始した露天掘りの跡である。
その結果、山が二つに断ち割られた。
佐渡金山のシンボルである。
文禄4年(1595)頃に、
坑道掘りの技術が石見銀山から伝えられると、
採掘場を多数設けることが可能になり、
佐渡金山の本格的な開発に繋がっていった。
この背景には灰吹製錬法の発達がある。
地下深くから石英脈が立ち上がってくるイメージから、
鉱脈は立合と呼ばれてきた。
立合の暑さは数pから数十mまで様々で、
その中に含まれる金銀の量も一様ではない。


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