佐渡金山の歴史

慶長6年(1601)
相川金銀山(佐渡金山)を開山(関ヶ原の戦いの翌年)

慶長9年(1604)
大久保石見守長安、佐渡奉行となり相川町を首府とする

元和8年(1622)
佐渡小判を造る

元禄9年(1696)
坑内水排水のための南沢疎水坑道完成(延長922m)

慶応4年(1868)
 採掘に火薬を初めて使用

明治2年(1869)
明治新政府、佐渡鉱山を官営とし、近代化を図る

明治8年(1875)
独人技師を招き日本初の様式立坑「大立竪坑」開削

明治14年(1881)
削岩機を国内で初めて採用

明治20年(1887)
日本初の架空索道(空中ケーブル)敷設

明治22年(1889)
宮内省御料局に所属、皇室財産となる

明治23年(1890)
宮内省御料局の許可の下、鉱山学校を設立

明治25年(1892)
近代化完遂により産金量急増。
国内生産の36%を占める

明治29年(1896)
三菱合資会社に払下げとなる

昭和13年(1938)
東洋一の金銀鉱浮遊選鉱場建設。
月7万トンの鉱石を処理

昭和18年(1943)
国策による「金鉱業整備令」で規模縮小。
銅生産にい転換

昭和27年(1952)
戦時中の乱掘等により鉱石が枯渇、佐渡鉱山大縮小

平成元年(1989)
鉱石が枯渇し、3月末日操業停止

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