古代〜中世


佐渡も日本の他の地方と同じように、
島内各地の遺跡から1万年以上も前の古代から人が住んでいたことがわかっています。
佐渡にはっきりと本土から人や文化が入ってくるのは日本が国として出来上がった8世紀頃から。
佐渡はすでに一国として750年頃に国府が置かれ、国司も派遣されていました。
佐渡市国分寺、小比叡の蓮華峰寺、長谷の長谷寺などの存在がそのことを物語っています。
また佐渡が伊豆や隠岐とともに遠流の地と定められたのもこの頃です。
奈良時代、養老6年(722)歌人の穂積朝臣老の以来、室町時代、
永享6年(1434)の世阿弥(観世元清)まで70名余りが佐渡に流されました。
そのほとんどが政争に敗れた文化人や知識人、
貴族階級者であったため彼らの都ぶりがさまざまな形をとって佐渡に伝えられ、
今に残る佐渡の文化・思想・建築・芸術・芸能の基盤となりました。

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