江戸末期〜現代


江戸末期になると幕府の財政を支えてきた金山もすっかり産出量が減り、
明治になると日本が世界の仲間入りをしたのに引き換え、
佐渡は金山とともに時代に取り残されていきました。
それまで佐渡の玄関口であった小木港や赤泊港は次第にさびれ、
代わって両津港が発展するようになりました。
両津港は安政5年(1858)の日米通商条約で開港した
新潟港の補助港に指定されてから佐渡の表玄関として登場し、
いまや新潟・両津港路は佐渡へのメイン航路となっています。
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