佐渡の流人たち
佐渡の流人第一号は、養老6年(722)乗興を指斥する事件に座して配流された
万葉の歌人・穂積朝臣老(ほずみのあそみおゆ)といわれています。
それ以降多くの人々が佐渡に流されましたが、
時の政争に敗れた政治犯や思想犯といった人たちがほとんどでした。
中には許されて都に帰ることの出来た人もいましたが、
多くが佐渡で生涯を閉じたといわれています。
そのほとんどが当時の貴族や文化人だっただけに、
さまざまな都ぶりを佐渡に伝えたと思われ、
今に伝わる多くの芸能の下地はかれら流人たちによって作られたものとも考えられます。
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