小倉実起(おぐらさねおき)

儒学の秦斗と仰がれるほど学殖豊かな人で、位も大納言でしたが、
自分の娘が天皇の第一子をもうけながら皇位に就けなかったことに逆らい、
長男公連(きんつら)、次男季伴(すえとも)と共に天和元年(1681)配流。
大納言であり学者でもある父実起、
歌人の公連の在島は佐渡の文芸に大いに寄与したと言われています。
配流から2年後、実起、公連ともに没。季伴は許されて京に帰りました。
親子2人の墓が相川鹿伏の観音寺に残っています。
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