日蓮上人(にちれんしょうにん)

「立正安国論」が鎌倉幕府の怒りに触れ、文永8年(1271)に配流されました。
塚原の三昧堂(根本寺)で「開目抄」を著わして自らの立場を明らかにし、
一谷入道邸(妙照寺)に移されてからは法華経思想を具体化した十界曼荼羅を図顕。
「観心本尊抄」を著して日蓮の主義・思想を結実させました。
この影には阿仏房・千日尼夫妻(妙宣寺)、国府入道、
是日尼夫妻(世尊寺)の外護の力があったからといわれています。
在島は2年5ヶ月。
文永11年(1274)赦免されて鎌倉へ帰りました。
着岸した松ヶ崎・本行寺から離島出船の渋手、
真浦の霊跡までゆかりの由緒・遺跡・伝説が数多く残っています。
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