京極為兼(きょうごくためかね)

鎌倉後期の政治家でもあり、
歌人でもあった為兼はその積極的・革命的な生き方が皇位継承をめぐる
南朝と北朝の争いに大きく影響したとして、幕府の手によって配流されました。
為兼45歳、永仁6年(1298)のことです。
八幡宮の小堂に配され、日々京都召還への神明祈誓をこめて、あけくれ歌を詠んでいました。
その甲斐あってか、5年後の嘉元元年(1303)に許され帰京。
後に伏見上皇の院宣で「玉葉和歌集」を撰進しました。
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