日野資朝(ひのすけとも)

後醍醐帝の北條討伐、いわゆる「正中の変」(1324)にその責任を一身に背負って配流され、
7年間幽閉された後処刑されました。
墓は五重塔のある妙宣寺にあります。
その子、阿新丸が13歳で佐渡に渡り、
父の敵の本間三郎を討ち取った話は「太平記」で、また能の「檀風」で有名です。
その敵討ちの舞台となった本間館跡が阿仏坊の妙宣寺付近で、
追っ手を逃れた時に隠れたと伝えられる阿新丸の隠れ松の跡が今も残っています。
また、阿新丸を守って島からの脱出をはかった山伏大膳坊を祭神として祭ったのが
竹田にある大膳神社です。
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