文覚上人(もんがくしょうにん)

俗名を遠藤盛遠といい、かつては北面の武士でした。
源渡の妻袈裟御前に恋慕し、誤って殺害したことを悔いて出家した話は有名です。
鎌倉幕府に対抗した陰謀に連座したとして正治元年(1199)三月に配流されたと言われていますが、
その後佐渡で没したとも、また対馬に配流されたとも言われますが定かではありません。
大久保の真禅寺が文覚開基と伝えられており、腰掛石も残されています。

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