佐渡は「鶯や十戸の村の能舞台」と詠まれたほど能の盛んなところ。
かつて農家の人たちが畑仕事で謡曲を口ずさんだほどで、
能がこれほど庶民の生活の中に浸透しているところは全国でも珍しいといえます。
このことは、能の大成者・世阿弥が佐渡に配流されたことと、
能楽師の出身の佐渡奉行・大久保石見守長安が能楽を奨励したことがおおきく影響しています。
初めは奉行所の役人たちの教養として取り入れられた能でしたが、
次第に神社に奉納する神事として発展していきます。
このことは現在30以上(かつては200以上)ある能舞台の大部分が、
神社の拝殿を兼ねたものや付属したものであることからもうかがえます。
例えば、由緒を誇る「国仲四所の御能場」といわれる
大膳神社・牛尾神社・加茂神社・若一王子神社もすべて神社です。
さらに、本間家初代の秀信が宝生座を開き、島内各地に門下生を得るようになると、
次第に庶民たちの間にも浸透していきました。
この宝生座が村々の神社に能を奉納、徳川中期以降、
佐渡民間能楽の宗家として影響を及ぼしていきました。
本間家は現在18代目、今も佐渡宝生流の家元として伝統を守り続けています。
佐渡では毎年4月の演能をかわきりに、
10月まで各地の能舞台でその幽玄の世界を楽しむことができます。

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