62.中世の流人達

○日蓮上人(@根本寺A妙照寺B本行寺C波題目碑)
○順徳上皇(D真野宮E真野御陵F黒木御所跡)
○世阿弥(G正法寺H松ヶ崎)
文化や思想を佐渡に伝えた流人たち。


【日蓮上人】
「立正安国論」が鎌倉幕府の怒りに触れ、文永8年(1271)に配流。在島2年5ヶ月で赦免、鎌倉に帰京。塚原の三昧堂(根本寺)で「開目抄」を著して自らの立場を明らかにし、
一谷入道邸(妙照寺)に移されてからは「観心本尊妙」を著して、日蓮の主義・思想を結実させた。
【根本寺】
日蓮が他宗の僧と「塚原門答」を戦わせ、「開目抄」を著した三昧堂の地に、慶長12年(1607)、金山の山師・備前遊白が祖師堂を建立したことに始まり、山師・味方但馬が大寄進して出来た寺。
【妙照寺】
配流となった日蓮が、在島の大部分を過ごした寺。有名な「観心本尊妙」や「十界曼荼羅」を著し、教養を確立した霊跡である。
【本行寺】
佐渡に着いた日蓮が3日3夜過ごした草庵の跡といわれ、近くに伝説の遺跡「おけやき」がある。
【波題目碑】
日蓮が赦免された文永11年(1274)の3月、佐渡を去るべく真浦で最後の夢をむすんだ。翌朝、朝日に向かって合掌すると、海上の波間に「南無妙法蓮華経」の七文字が浮かび現れ、これを「波題目」として流布される霊園。一説では、国仲より峠越えで真浦の津に着き、海岸近くの岩窟で夜を明かし、地元民の世話で船出したと伝えられる。
【順徳上皇】
承久の変(1221)で鎌倉幕府の転覆に失敗し、24歳の若さで配流、在島22年。ついに帰京の願いはかなわず、46歳の時に絶食して果てたと伝えられている。順徳上皇を火葬にした真野御陵や上皇の仮宮だった黒木御所跡などの遺跡、伝説なども数多く残る。
【真野宮・真野御陵】
正式には、火葬塚。順徳上皇は都に帰ることなく島で果て、火葬された後、従者に抱かれて淋しく都に帰ってゆかれた。近くの真野宮は、順徳上皇をまつった神社。
【黒木御所跡】
順徳上皇の仮宮跡といわれ、皮つきのままの丸木で造られた粗末な宮であったところから、黒木御所と呼ばれたという。
【世阿弥】
「花伝書」で知られる能楽の大成者。将軍・足利義政のゆえなき怒りで配流されたのは、永享6年(1434)世阿弥が72歳の時。許されて都へ帰ったかどうかは不明。在島中に、娘婿の禅竹に贈った手紙(奈良宝山寺)の碑が、佐渡博物館前に建っている。
【正法寺】
世阿弥の最初の配所万福寺から移された寺と伝えられ、境内の大老木の根本に腰掛石が残っている。
【松ヶ崎】
松ヶ崎は上古から近世まで、越後と佐渡を結ぶ重要な港だった。世阿弥もこの地に配流され、松ヶ崎から峠を越えて長谷寺に至った。
[交通]
●根本寺:両津港より車で約20分。
●妙照寺:両津港より車で約35分。
●本行寺:小木港より車で約45分。
●波題目碑:赤泊港より車で約5分。
●真野宮・真野御陵:両津港より車で30分。
●正法寺:両津港より車で約25分。
●松ヶ崎:小木港より車で約45分。
[インフォメーション]
●根本寺:拝観料300円

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