佐渡について
○佐渡市プロフィール○地形○気候○人口○交通○歴史○文化○産業
★佐渡市プロフィール★
平成16年3月1日、両津市、相川町、佐和田町、金井町、新穂村、畑野町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村の10か市町村が新設合併し、一島一市の「佐渡市」が誕生。
★地形★
佐渡の面積は、854.94Ku。東京23区の1.5倍という、日本一大きな島。佐渡に訪れる人のほとんどが、あまりの大きさに驚く。
★気候★
佐渡沖を流れる対馬暖流の影響で、冬の温度が本土(越後)より1〜2度高く、雪もほとんど積もらない。夏は逆に本土より1〜2度低いので、冬暖かく、夏は涼しい。
★人口★
江戸時代からあまり増減がない。寛保元年(1741)の記録によると、93,334人。明治5年(1872)で106,262人。一番人口の多かった時が、第二次世界大戦後の昭和25年(1950)で125,597人。平成17年12月1日現在(68,580人)過疎化の現象は佐渡でも例外はない。
★交通★
本土から佐渡へ渡るには、新潟港から両津港へと大型フェリーとジェットフォイル、直江津港・寺泊港から小木港・赤泊港へフェリーが運航している。島内の交通は、鉄道がなく、バス路線が全島くまなく張りめぐらされて島民や訪れる人の足になっている。道路は、国道が1本(小木地区〜両津地区間350号線)と県道が24本だが、本土と比べて道路幅がせまく、トンネルの多いのが特徴だ。
★歴史★
佐渡も日本の他の地方と同じように、島内各地の遺跡から1万年以上も前の古代から人が住んでいたことが分かっている。佐渡にははっきりと本土から人や文化が入ってくるのは、日本が国としてできあがった8世紀ごろから、佐渡はすでに一国として、750年ごろに国府が置かれ、国司も派遣された。
佐渡市国分寺の国分寺、小比叡の蓮華峰寺、長谷の長谷寺などの存在がそのことを物語っている。そのころから、伊豆や隠岐とともに佐渡が遠流の島と定められた。養老6年(722年)万葉歌人の穂積朝臣老が佐渡に流されて以来中世までは、流人のほとんどが政争に敗れた人たちだった。その数76人ともいわれ、彼らの都ぶりがいろいろな形をとって佐渡に伝えられている。
佐渡が歴史上にクローズアップされるのは、やはり佐渡金山の発見からといっていい。佐渡は古くから金や銀の出るところとして知られていたが、徳川家康は佐渡金山の有望性に目を付け、天領として金山開発をすすめた。そして最盛期の17世紀初めには世界一といっていい流出量を誇った。
それまで寒村だった相川地区は4万人もの大きな町にふくれあがり、金の積出港としての小木地区も栄え、そこを窓口に新しい文化も流入した。幕府の財政を支えてきた金山も、江戸末期にはすっかり衰え、明治になると日本が世界の仲間入りしたのにひきかえ、佐渡は金山とともに時代に取り残されていった。佐渡の玄関口だった小木港や赤泊港も次第にさびれ、代わって両津港が発展するようになる。
両津港は、安政5年(1858)の日米通商条約で開港した新潟港の補助港に指定されてから、佐渡の表玄関として登場し、今や両津航路は佐渡へのメインコースとなっている。このような新しい時代の流れの中で、島民は苦難の道を歩むが、そんな中でも多くの優れた人材を生み育て、歴史遺産をかたくなに守り、美しい自然を残してきた。
このことは、人間や文化とは何かという永遠の問いかけを、島民一人ひとりが体で表現してきたものだといえるかもしれない。
★文化★
一般的に佐渡は、北陸や西日本の影響を強く受けているといわれる。古くから流人(貴族)が京からきたことや、西回り航路が開かれてから西日本や北陸の文化が直接佐渡に運ばれたことによる。
そして佐渡の文化の中には、流人たちがもたらした貴族文化(国仲地方)、金山の発展で、奉行や役人たちが江戸からもちこんだ武家文化(相川地方)、商人や船乗りたちが運んだ町人文化(小木地方)の三つの形があるという。
これらが混然一体となって、佐渡独特の文化をはぐくみ、同じ新潟県でも対岸の越後とはまったく異なった文化土壌の中にあるといえそうだ。「佐渡は日本の縮図」などといわれるのも、気候・風土とともに、文化の面でもいえることのようだ。
★産業★
農業は米づくりが中心だが、果樹栽培も盛んで、特産のおけさ柿がトップ。主に北海道などへ出荷される。また古くから牛の放牧も行なわれ、佐渡牛として移出されている。
佐渡は4分の3が山林で、しかも寒暖両系の植物分布が見られることから森林資源は豊富。近年はナラ原木のシイタケ栽培が盛んで、乾シイタケの生産は年間3億円で県下一を誇る。水産業では、大小34の漁港を基地に、漁獲量約1.5万トン(平成13年)。ブリ・マグロなど種類は豊富だが、養殖も盛んだ。カキやワカメが代表的だが、加茂湖のカキの水揚げが年間2億3,000万円。豊田にある県下唯一の栽培漁業センターでは、養殖技術が日夜研究されている。農村に工業をと、精密機械工場や縫製工場が各地にできつつあるが、特異な存在に「佐渡みそ」がある。年間生産量1万3,000トンで、全国生産額の40分の1にあたるという。工芸的なものに、竹細工と窯業がある。とりわけ窯業は「無名異焼」の名で全国に知られ、窯元も約25軒、日用品から芸術品まで数多く作られている。
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