「中川」の御製
(佐和田町八幡)


現在の石田川は、むかしは中川といって鍛治町から八幡を横切って流れ、海にそそいでいた。
この中川は、川幅がひろく、また石原もひろがっていた。そして、ところどころクリ(水の深いところ)があって、そこには大蛇がすんでいた。すこしの雨でも大水となり、溺死する人も出るほどで村人たちは、たいへん困っていた。
ある日、このことをお聞きになった順徳院は、中川の川岸に立って
  見おろせば佐渡の中川白たへの
    おの(巳)が棲家は海にこそあれ
と、お読みになった。
この御製は、ヌイゴ(稲藁の芯)の筆で、麻布にお書きになって、中川へお流しになった。そのため大蛇もいなくなり、また川の流れも河原田町との境を流れるようになった。
この時、お流しになった麻布は、院の修験者が石田川の川口で拾って家宝としている。
(付記)
現在、八幡に諏訪神社の東側を流れる小川は、そのころの中川の名残である。
この中川というのは、西の荒町川(佐和田町五十里と窪田の境)と東の国府川(佐和田町辰巳と真野町四日町の境)の中間に流れていたので、この名がある。
また
この御製を
 音に聞く佐渡の中川来てみれば
 おのがすみかは海にこそあれ
と、しているものもある。

戻る