おとわ池
(佐和田町山田)
河原田町から西北約10キロ、海抜560mのところに、深い紺碧をたたえた池がある。
この池には、池の三分の二くらいの浮島があり、その中に井戸があって、投げ入れたものは、渦を巻いて深く沈んでゆく。これは池の主がいるからだといわれている。
この浮島は、高層湿原性浮島で、日本最大のものといわれ学術上貴重な資料として、昭和38年新潟県の文化財となっている。
しかし、この池は伝説の池としても有名である。
むかし、麓の談議所坊長福寺へ、ある日まずしそうな服装をしていたが、どこか気品のある美しい女が、宿を乞うた。和尚は気の毒に思って、奉公人とも客人ともつかずに泊めておくことにした。どこの人かは、かくしていて語らなかったが、名は「おとわ」といった。
ある年の田植えの終わったころ、村の娘たちに誘われ蕨(わらび)取りに出かけたが、いつのまにか仲間とはなれて、女人禁制の金北山近くまで来てしまった。あわてて山をくだる途中、そこの小さい池で「月の穢(けがれ)」でよごした下着の裾を洗った。
すると、ふしぎなことは「おとわ」の立っているところを浮島のように残して、みるみるうちに大きな池となった。そして、夕もやの中に美しい男が立っていて「わしは、この池の主である。是非ともわしのあとをついで、この池の主となってくれ。これも前世からの因縁じゃ。もう里へは帰さない」というのであった。
「おとわ」は驚き、泣き悲しんで三日の猶予を願って寺へ帰った。
「おとわ」は寺へ帰ると、失心したようになって床についた。和尚はたいへん心配して聞くと、昨日の出来事を話して、ただ泣くばかりであった。和尚は仏の道を説き聞かせたので「おとわ」も生まれかわったように深い信心をもつようになった。
約束の日が来た。
夕方「おとわ」を呼ぶ声がする。
今はこれまでと、「おとわ」は和尚に別れを告げ、寺を出る支度をした。村の人たちも、おおぜい集まって、いよいよお山の池の主となることを悲しんだ。そして、「おとわ」は、駕篭に乗せられ、松明(たいまつ)をともし、念仏を唱えながら山へ向かった。
やがて、萱ふきで三方吹き抜け通しの地蔵堂の前へ来た。ここで村人たちと別れを告げた。
そのうち、蹄(ひづめ)の音が遠くから聞こえて来たと思うと、急に怪しい風がたち、はげしい雨となった。人びとは、みな地に伏した。
この時、白衣に黄金作りの太刀を佩(は)いて、白馬にまたがった貴公子があらわれ、彼女を鞍(くら)の前輪に乗せて、もやの中に消えて行った。池の主であったのである。
その日から七日間、山は霧につつまれていたが、七日目に大雨となり、天地は暗くとざされた。
村の人たちは、この雨で池の主は天にのぼり、「おとわ」が代わって池の主になったのだといっている。
今も旧暦6月23日は、「おとわ」が池の主にとついだ日だといって、供養している。
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