弥七郎の牛
(両津市両尾)
両尾の通称弥七郎恩田家では、むかし海から大日さんを背負って来た牛を、たいせつにして飼っていた。
これが佐渡牛のはじめだといわれている。
この牛は、夜中になると、いつもいなくなるので、家の者はふしぎに思い、あとをつけて行くと、宇賀神の山へのぼり、そこの泉の水を飲んでいた。家の者が、この水を飲んでみると、酒のようにうまい水であった。
また、ある時、この牛は、この両尾の海岸で、小浜の海からあがって来た一本角の生えた怪物と喧嘩をした。なかなか勝負がつかない。牛の方は、尻っ尾が長くて、足にからんでいるように見えたので、家の者は、その尾を切ってやった。すると、かえって力が出ないようになった。そのうち、怪物も疲れたらしく、とうとう海の方へ逃げていった。
この怪物は犀(さい)であった。
このことがあってから、この村では牛の尾は切らないことにしている。尾の長いのは、力が出るといわれている。
その後、この両尾に大火事があった。
この時、隣近所は皆焼けてしまったが、この弥七郎の家だけは、煙の中に頭の白い牛が現れ、ぐるぐる家をまわってとうとう焼けなかった。
それから、弥七郎家では、この牛を神様として、近くの山に神社を建てた。そして、この神社の前の田は、あらたかの場所として、女の人の入ることを禁じていた。
その後、新穂村瓜生屋の殿様が、このご神体を持って行き祀ったのが、瓜生屋の大日堂であるといわれている。
(付記)
「佐渡牛のはじまり」は、両津市願の「虎之助牛」の伝説もある。
「牛と犀との突き合い」は相川町小川(『怪談藻塩草』所載)や同町大倉にもある。
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