松塚のたすき藤
(羽茂町羽茂本郷)
羽茂町から小木に向かう県道(岡田へ入る分かれ路)西側に松塚といって、一本の松と供養塔がある。
ここには、むかし敵討ちに来た男が、かえって返り討ちにされたところだと伝えられている。
寺田の通称イリ白井家は、羽茂殿の家老をつとめたと伝えられ、代々武術にすぐれていた。
このイリ家の何代目かのオヤジが、ある年旅まいりに出た時、山賊につけねらわれた。イリのオヤジは、感ずいてはいたが、誘われるままに山賊の家に泊まった。山賊はこの男は相当の武術の出来る腕前なので、寝こんでいるところを斬ろうと思いついたのであった。そして、夜中に刀を抜いて斬ったつもりであったが、どうしたことかイリのオヤジは山賊のうしろにまわり押さえてしまった。
山賊は許してくれと頼んだが、こんな者を生かしておいてはどんな悪いことをするかわからないと思って殺した。この騒ぎに山賊の妻は子をおいて逃げてしまった。夜が明けてから、イリのオヤジは、親の敵を討つようなら、いつでもたずねてこいと、自分の住所と名前の書置きを置いて、ここを立ち去った。
それから、何年か経って、山賊の子供は成長して、武者修行に出て佐渡へ渡り羽茂村へきた。イリでは、この日田植えであった。山賊の子供はイリとは知らず、イリのことを聞いた。イリはいよいよ来たナと思ったが、見るとまだ年も若く、返り討ちになるのもかわいそうに思って「その人は、とても武術にすぐれているから、思いとどまったがよい」と、さとした。しかし、若者は聞き入れなかったので、イリのオヤジは、鍬(くわ)で立ちまわったが、とても相手にならなかった。再びイリのオヤジは帰ることをすすめた。若者は帰る道すがら考えた。あの百姓はどうも父の仇らしい、仇とわかっていて名乗りもあげずに帰るのは残念だと思い、いよいよイリと勝負することになった。
イリも、それほどの所望ならしかたがない。そして、人にさしさわりのないところというので、この田圃の中の松塚の場所を選んだ。
イリは、この時、棒の代わりに、藤の蔓をとって一文字にしばり、一太刀で、この若者を返り討ちにした。
そして、イリは親切に葬式をしてやり、ここに葬り、その後も供養しつづけた。
今も、この松塚の蔓藤(つるふじ)は、欅の長さよりのびないといわれている。
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